横浜HARTクリニック

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いかがお過ごしですか?

蒸し暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?

前回の投稿から1カ月近く空いてしまいました。書こうかなと思いながら筆が進まず、なんとなく自分の心が定まらない感じの日々が続き、自然に任せているうちに時間が経ってしまいました。

その代りなのでしょうか、読みたいと思っていた本を2冊読みました。

1冊目は、George Orwell の「1984」。古典中の古典ですが、そのために題名は知っていても実は読んでいない人が多い本です。私も何年か前に買ってはいたのですが本棚に眠ったままになっており、今回きちんと読んでみました。いわゆる監視社会について、国民の生き方が風刺的に書かれていて、今の日本の状況と比較しながら読むと面白いと思います。自分ならどう生きるだろうか、主人公のWinston Smith の生き方をするか、その他大勢の生き方をするか、と考えたりするのですが、本文最後の1文(原文では4つの英単語)をみて愕然とします。

2冊目は、Henry Marsh の「Do no harm」(日本語にも訳されています)。イギリス人脳外科医の随筆です。ベストセラーになったようですが、確かに文章から人間に対する愛情が感じられ、医者としても人としても自分の心ときちんと向き合って書かれていると思います。医者と患者さんとの関わりにおいて、端的に言うと、その結果は次の3通りです。

(1)患者さんの望む通りの結果になって感謝される、(2)患者さんの希望通りの治療結果を出せずに治療を終了する、(3)治療前よりも患者さんの苦しみが増える。

脳外科医の Marsh にすれば、(1)は腫瘍が取りきれて完治すること、(2)は腫瘍を取り切れず手術が不完全に終わること、(3)は手術時に正常な神経を傷つけて麻痺を残すこと、でしょう。これらが臨場感を持って、正直に書かれています。私もロンドンに5年半いたので、会話の文章が生き生きと伝わってきて、Marsh の喜び、焦り、悲しみ、絶望が非常によくわかります。

そして先の3つは当然私自身の医者としての日常にも当てはまります。(1)は妊娠、出産に至ること、(2)は力及ばず治療を終了する旨説明すること、(3)はそういうつもりではなかったにしても、私の言動が患者さんを傷つけて治療がつらくなったり、治療の副作用として身体的な後遺症を残してしまうこと、です。(3)が生じないように努めてはいますが、自分が気付いていないだけかもしれません。

不妊治療を長く続けてくると、私にもMarsh のように書こうと思えば書けることはたくさんあります。患者さんから丁寧な手紙をいただいて、そうだったのかと気づくことも多く、また患者さんの中には自身で本を出版され、その中に私とのことを書いてくれた方々もいます。いつか私も本を書いてみてもいいかな、と思ったりもします。次の世代へ残せるものの一つですからね。

 

開業3周年を迎えます

7月7日で開業3周年を迎えます。

まだ振り返って思い出話をするほどの年月でもありませんが、私にとっては公私ともに密度の高い時間であり、その密度の高さは様々な人との関わりにあります。

第一は、患者さんとの関わりです。開業後も、東京HARTクリニック勤務時代から変わらない姿勢で、一人一人目の前の患者さんと真剣に向き合ってきました。しかし、ホームページの「院長紹介」にも書いたのですが、自分も年齢を重ねたせいか、これまでのように自分の年齢に近い患者さんと共に戦う「同志」的な思いから、「皆さんに幸せになって欲しいから自分の全力を尽くす」という思いへの変化を感じます。「この治療法がベストだろうか」と自問する毎日ですが、日々知識の吸収を怠らず、自分の頭で考えて、謙虚な気持ちを忘れないよう努めています。

第二は、スタッフとの関わりです。開業しなければ出会わなかったはずのスタッフ達と出会い、不妊治療という共通の目的を持って仕事をする機会を与えられました。「診療理念」の一つである教育を通して、スタッフ皆には、社会人としてどこに行っても通用するような人間になって欲しいという思いで関わっています。せっかく何かの縁で出会ったわけですから、「あの時は小うるさい院長だと思ったけど、今思えばありがたかったな」と思ってもらえたら本望ですね。

第三は、両親との関わりです。開業の翌年(一昨年)の7月に父が急逝し、昨年の12月に母が5カ月の入院生活の末に亡くなりました。医者になってからはあまり会う時間もなく、さらに開業する時には、もう親の死に目にも会えないだろうと覚悟はしましたが、開業後すぐに二人ともいなくなり、実際にどちらの死にも立ち会えませんでした。

今日は、父の3回忌と、母の七七日と1周忌を兼ねた法要を桑名で行い、納骨もしてきました。お互いの後を追うように亡くなった二人ですから、それぞれの遺骨を入れた袋を小さな木箱に一緒にいれて、菩提寺の納骨堂に納めてもらいました。手元に置いてあった遺骨を納骨したことで役目を果たしたと思うと同時に、寂しさも改めて感じます。

両親に対してはいろいろな思いがありますが、今一番心に残る言葉は、私が結婚する時に母が言った言葉です。私には兄弟がいないので、「これで自分たち(両親)が死んでも一人ぼっちにならずにすむね」と言ってくれました。その時にはあまり気にとめていなかったのですが、実際に両親がいなくなると、ありがたい言葉だと思います。

人は常に誰かと関わって生きています。人との関わりが希薄になりがちな時代だからこそ、私はアナログ的な人との関わり方も大事にしたいと思っています。診療スタイルも患者さんと時代のニーズに合わせて変えていく必要がありますが、機器だけに頼らず、きちんと話を聞く、丁寧に説明をする、五感による基本診察を行う、病気だけを診ないでその方の生活や思いも考慮する、といった医療の基本的な姿勢を今後も実践していきたいと思います。

新幹線の車中で

母が亡くなってから半年間そのままになっていた、桑名のマンションへ行ってきました。片づけをしなければいけないとずっと思いながら、忙しくて行けずにいましたが、ようやく行くことができました。でも本当は行く気になれなかったから、行かなかったのかもしれません。

住人のいなくなったマンションに入るのはやはり寂しいですね。帰省するといつも「いらっしゃい、よく来たね」と声をかけてくれましたが、今日は私が「来たよ」と言うだけでした。

桑名へ向かう新幹線の中で何を読もうかと考えていたのですが、新横浜駅の売店で文藝春秋の「前川喜平前文科事務次官手記」という見出しを見つけて、これを読むことに決めました。私は、この前川さんという「人」に興味がありました。

記事の内容は特に面白くありませんが、手記の最後にこの方の「人」が表れている部分を見つけました。105ページ、下段、右から13行目、「でも公僕は…」という表現、さらにその4行後、「私は人々のために尽くしたい、人を幸せにする仕事をしたいと考え、文部省に入りました。」という箇所です。おそらく、この方が手記に書いている内容は真実なのでしょう。

私も小さい頃から医者になりたくて医者になりました。小さい頃はよく熱を出して、近所の内科に行きました。夜遅くに診てもらうこともありましたので、医者とは昼夜関係なく仕事をするものと思っていました。さらに、国立大学に入学し、授業料のほとんどを税金から出してもらって医者にしていただいたわけですから、社会に還元したいという思いは強いです。公務員ではありませんから「公僕」ではありませんが、「人々のために尽くしたい、人を幸せにする仕事をしたいと考え」医者になりました、という点は前川さんと同じです。

前川さんは、現役時代には大きな組織の中で、その思いを貫くことが難しかったのでしょう。それに比べると、私の場合、あまり医局組織と関わらずに自分のしたいことをしてきましたので、しがらみのない分恵まれているのかも知れません。後悔することのないよう、初心を忘れず日々の診療を積み重ねて、より多くの人に喜んでいただける仕事をしたいですね。

妊娠率25%とはどういう意味でしょうか?

こんにちは。次第に蒸し暑くなってきましたが、元気にお過ごしですか?クリニックがすいている日には、汗がひく前にお呼びしないよう、ご来院後少し時間をおいてからお呼びするようにしていますが、大丈夫でしょうか?

さて、「妊娠率 25%」と聞いて皆さんはどうお思いになりますか?一般的に不妊治療の成績として示す時には、「治療あたり」の成績として示されることが多いので、100人の女性(100組のご夫婦)に1回の治療を行うと、25人(25組)の方が妊娠するという意味です。

これは少子化を考えるような社会人口動態統計であれば意味があるかもしれませんが、個々の方の不妊治療ではあまり意味がありません。妊娠という結果で見れば、1回の治療あたり25人の方は100%満足、残りの75人の方は0%満足(100%不満足)ということになります。100人の方がそれぞれ25%満足ということはありません。

不妊治療では、やはり最終的にそれぞれの方が妊娠に至ったかどうかが重要であり、そのためには1回の治療あたりの成績ではなく、その方が最終的に妊娠に至ったかどうか、すなわち「患者さんあたり」の成績が重要です。当院の実績では、常にこの「患者さんあたり」の成績も公表しています。

治療に通われる女性の年齢も次第に高くなり、多くの方が年齢を気にしていらっしゃいます。しかし、卵子の質は毎月毎月次第に弱くなっていくわけではなく、まずは年齢と共に生理周期ごとに卵子の力に差が出てきます。つまり、どんなに努力をしても良い卵子が育たない周期が増えてきます。したがって、良い卵子が育つ周期を待つ、そういう周期を逃さないために、ある程度の期間治療、あるいは妊娠努力を続けることが重要になってきます。

当院に通院していただいている方もそうですが、不妊治療に通われる方は、丁寧できちんとした性格の方が多く、その性格が逆に不妊治療をストレスに感じさせてしまうことも多いのではないでしょうか?その性格は財産で素晴らしいことですし、ご両親のおかげでしょう。しかし、上に述べたように、良い卵子が育つ周期でなければ、私たちスタッフも含め、ベストを尽くしても妊娠に至らないことは変えられません。

自分に頑張れることと、ある程度は確率的(運命的)なこととを分けて治療に向き合えると、少し気持ちが楽なると思います。一人一人、体質も違います。丁寧に問診、診察をしていると、それぞれの方にとって最も適した治療法も見えてきます。私は、治療の結果が出ていなくても、きちんと説明をして、可能性があれば治療を続けられるような提案をしています。チャンスを逃さないよう一緒に頑張って欲しいと思います。

このあたりのことを先日セミナーで話しました。まだしばらくはオンデマンドで見られるそうなので、興味のある方は、当院ホームページの「お知らせ」にあるアドレスを参照してください。

 

 

事実婚について

寒暖の差が大きい日が続いていますが、体調はいかかですか?

今回は、事実婚に関する私の考えを書きたいと思います。事実婚を定義したり、その良し悪しを議論するわけではなく、不妊治療の現場で働く医師として、生まれてくる子供の立場を踏まえて、思うことを書きます。

以前から事実婚のカップルの方は来院されていますが、最近少し増えてきたような気がします。様々な理由で、戸籍上の婚姻関係は結ばないが、戸籍上の婚姻関係にある夫婦と同じ、安定した男女関係にあるのなら、差別されるべきではないと思います。日本産科婦人科学会も、体外受精は婚姻関係にある夫婦に限るとしてきましたが、少し前に、事実婚関係にあるカップルに対しても考慮すると立場を変えています。

私は、事実婚カップルの方に対しては、それぞれの戸籍謄本のコピーを提出していただいて、どちらも他の誰とも婚姻関係にないことを確認しています。まだ誰かと婚姻関係があって離婚調停中であったりすると困るので、シングルであることを確認後、治療に進むようにしてきました。

これまでは、カップルの方に「2年程度は夫婦として暮らしてきましたか?」とか「周囲の人からも、夫婦として見られていますか?」というような質問をして、その返答を信用して治療に進んできました。しかし、最近は晩婚化の影響もあり、出会ってから1年未満のカップルや、性行為のないカップルも来院され、治療に進むべきかどうか悩むことも多くなりました。

改めて考えてみれば、出会って1週間の男女が妊娠を考えて悪いことはありませんし、婚姻関係があって子供を望んでいても性行為を持たない(持てない)夫婦もいます。逆に、治療を受けるために形だけ入籍するというケースもあるかもしれません。

当事者の間だけの行為であれば、私がとやかく言う必要はありませんが、ただ、医療従事者として、第3者として、子供を生み出すという神聖な行為に協力するとなると、やはり生まれてくる子供の福祉を最優先して考えます。事実婚という関係が安定して続くだろうか、どちらかがいつの間にか子供を残して去って行ってしまわないだろうか、もし生まれてきた子供に障害があってもいつまでも二人で協力して育てていけるだろうか、いろんな思いが頭をよぎります。

戸籍上の婚姻関係にこだわらず、皆さんの子供を持ちたいという「真剣で誠実な」思いには応えたいと思いますので、今回、新たに、「事実婚関係および出生児養育に関する誓約書」を作成し署名いただくことにしました。該当する方々には、お手数ですが、大切なことですので、ご協力をお願いします。

子供の頃のあるできごと

皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか?

私は今日遅ればせながら初詣に行ってきました。昨年末に母が亡くなり、今年の正月には神社へ初詣に行けませんでした。その後も、バタバタしているうちに今日になってしまいました。

車での帰り道、信号待ちのとき横にフェラーリが停まりました(ちなみに私はノートに乗っています)。フェラーリを見ると、今でも子供の頃のとても興奮したできごとを思い出します。

私は小学1年の時に、父の実家に近い桑名に引っ越して、山を新たに切り開いて作った住宅地に住んでいました。近所の小学校に通い、学校が終われば宿題を済ませて、あとは暗くなるまで近所の友達と遊ぶ、普通の田舎の小学生でした。昆虫採集が好きで、いつも生き物を探していました。それと、当時もはやっていたスーパーカーに興味がありましたが、桑名では普通に道路を走っているフェラーリやランボルギーニを見ることはなく、モーターショーにでも行かなければ実物を見ることはありませんでした。

ある日、近所に住んでいた方(確か建設業の社長をしていた方)が、青いフェラーリディノ246GT をどこかから借りてきて、その方の自宅前に停めていました。当然、近所の子供たちの間に情報が広まり、私も含めて10人くらいが集まってきました。私たちからせがんだのか、その方が好意でそうして下さったのかは覚えていませんが、一人ずつ(2人乗りですから当然ですが)乗せて区画を1周してくださいました。おそらく1分程度のことだったのでしょうが、その排気音、座席位置の低さ、加速感に圧倒されました。その興奮はしばらく続き、先ほど書いたように40年近く経った今でも忘れられません。

人生の中には、このようにその人にとって一生忘れられないようなできごとがいくつかあります。私も、そんな経験を一人でも多くの方に提供できたらいいなと思って仕事をしています。さらに、今はまだ時間的に余裕がありませんが、いつかは仕事とは関係のないことでも人に幸せな時間を提供できる活動をしたいと考えています。

知恵と勇気

だいぶ暖かくなりました。花粉症の方も、スギ花粉にアレルギーのある方は大分症状が軽くなってきた頃ではないでしょうか。

2月、3月と診療がとても忙しかったのですが、妊娠に至って産科へ転院された方も多く、4月に入って外来も落ち着いてきました。当院では産科へ転院される際に出産報告書をお渡しして、出産に関する情報を送っていただくようにしています。体外受精で妊娠された方たちについては、日本産科婦人科学会への登録義務がありますので必要な情報ですが、それとは関係なく、私たちとしてはこの出産報告をいただき無事出産されたことを確認して初めてほっとすることができるのです。年齢の高い方、子宮筋腫や子宮内膜症など病気のある方も多いので、妊娠すればよいというものではなく、この報告書が届くまでは、「〇〇さんは無事に出産したかな」と折りにふれて思います。

不妊治療に携わっていると、上に書いたように、みんな元気に生まれてきて欲しいと思いますし、その子たちが生まれてくる世界が平和で暮らしやすいものであって欲しいと思います。しかし現実は、世界中で子供たちが戦争や事件に巻き込まれたり、貧困に苦しんでいたりします。これは、私たち大人の責任です。

私は、世界が暮らしやすいものになるためには、「知恵」と「勇気」が必要だと思っています。「知恵」とは単なる知識ではなく、状況を正確に判断、分析して、最適な解決方法を考え出せる能力のことであり、「勇気」とは決断したことを確固たる意志を持って実行し、かつその結果に対して責任を負う覚悟を持つことだと考えます。

自分が行う日々の不妊治療では、何万人もの人の人生を一度に大きく変えることはありません。しかし、些細なものかも知れませんが、「知恵」と「勇気」は活かされています。丁寧できめ細かな問診と診察によってそれぞれの方の体質や思いを的確に分析して、自分のこれまでの経験を総動員して最良な治療方法を提案しています(「知恵」)。それを患者さんにきちんと説明して、了承を得たら責任を持って遂行し、考えられる副作用に対しても、もし生じたらきちんと責任を持つ覚悟で治療を実施しています(「勇気」)。

常に「知恵」と「勇気」を最大限発揮できるよう、日々勉強と思考訓練を怠らないようにしています。ある程度いつも自分を追い込んでいるところがありますが、私を、クリニックを信じて通院していただいている患者さんのことを思えば、こんな努力をできることはとても幸せなことだと思いますね。

高橋先生のこと

今月、広島HARTクリニックが広島市内から広島駅近くへ移転するのに伴い、高橋克彦先生が、HARTグループの臨床業務から完全にリタイアされます。広島HARTクリニックはすでに何年か前に、向田哲規先生に引き継がれていますが、月 1 回のグループ施設間の TV カンファレンスには高橋先生も出席されて、いろいろとご意見をいただいていましたので、その TV カンファレンスにも出席されなくなると、声を聞く機会も減り寂しくなります。

高橋先生に最初にお会いしたのは、1993年、約25年前のことです。私がアメリカ、シカゴへ体外受精と着床前診断の勉強へ行く少し前です。当時私は千葉で研修医をしていて、週1回、合計数回、加藤レディースクリニックの故加藤修先生に採卵と培養室のことについて教えてもらった後、広島HART クリニックに伺って2日間、施設を見学させていただきました。当時は卵子の細胞質に直接精子を入れる ICSI ではなく、透明帯の内側の囲卵腔というスペースに数匹の精子を注入する SUZI (subzonal insemination) という方法が行われていて、どちらのクリニックもその技術は国内最高であったと思います。

高橋先生に最初にお会いした時、(僭越ですが)私自身と考え、生き方が近い、という印象を持ちました。いずれ日本に戻ってくるときには、この先生と一緒に仕事をするような気がすると思いました。人生には、直感がその後を左右することがありますが、高橋先生との出会いはそんな出来事の一つであったのでしょう。近いと思う考え方、生き方は具体的には2つあります。

1つは、いつも世界に目が向いていること。高橋先生はアメリカで研修医(レジデント)をされた経歴があり、私も機会があればアメリカでレジデントをしたいと思って学生時代にその資格(当時はECFMG)を取得していました。日本では学べない何かがきっと海外にはあると思っていた私を、高橋先生も自分に似た面白い奴だと思ったと今でも言われます。論文は英語で書かれたものを中心に読むという姿勢も、常に本当の知識を吸収して、本物の実力をつけたいという思いの表れなのです。

もう1つは、決断力と実行力です。先送りせずにさっさと決める、人に仕事を割り当てる、決めたことは期限を決めて自ら実行する。組織をまとめるためには、憎まれ役にならなければならないことも多くありますが、高橋先生はそんな役も自ら買ってこられたと思います。

2014年に私が開業するにあたって、クリニック名は迷わず横浜HARTクリニックにしました。HART という名前をつけると知名度があるから患者さんが来てくれるというような考えは全くありませんでした。ただ純粋に、高橋先生のspirit を引き継いでいきたい、いかなければならないという思いからでした。今では、HART の「H」は「Human」の「H」となっていますが、もともとは「Hiroshima」の「H」であり、高橋先生のいろいろな思いを引き継ぎたいと思っています。

HART グループとして、その診療体制が全く同じではありませんが、横浜は横浜として時代のニーズにあった本物の生殖医療を目指していきますし、高橋先生が私を育ててくれたように、私も次の世代のスタッフを育てたいと思います。医師はまだ私一人ですが、医師以外のチームスタッフには恵まれていると思いますので、いつか良い医師とめぐり逢えたらいいですね。

高橋先生には、2020年までは、当院の顧問を続けていただきます。

受精卵(胚)の選択について

皆さん、こんにちは。今年ももう3月に入りました。花粉症もそろそろピークを迎えるころで、つらい方も多いでしょうね。治療中も、妊娠がわかるまでは薬を飲んでいてもかまいませんので、頑張って乗り切りましょう(私も花粉症です)。

さて、今日は受精卵(胚)の選択についてお話しします。

そもそも、なぜ胚を「選択」しなければいけないのでしょうか?

自然妊娠の場合には、胚を体外で目にすることはないわけですから、胚を人為的に選択することはありません。体外受精をするから胚を見ることになるわけです。さらに、自然周期で採卵をする場合、採取できる卵子は原則1個ですから、受精卵も1個、選択する必要はありません。

つまり、刺激周期で複数の卵子を採取し、複数の胚が得られるために、選択の必要が生まれるわけです。

一番古典的で今でも一般的な選択方法は、胚の形態(見た目の評価)です。いわゆるグレードです。採卵から3日目までは、〇分割、フラグメント△%、というような項目を評価して総合的にグレードをつけます。採卵から4日目では桑実胚、5日目以降では胚盤胞と呼ばれるステージに入るため評価法が変わりますが、やはりグレードをつけることができます。

グレードが良い方が着床率は高いですが、妊娠、出産を保証するものではありませんし、流産を防げるものでもありません。また、グレードが低いと生まれてくる赤ちゃんにも影響するのではないかと心配される方がいらっしゃいますが、赤ちゃんの健康状態を予測するものでもありません。

1990年代から遺伝子解析、解読の技術が進み、さらに1個の細胞に含まれるDNAを増幅する技術が開発され、胚の着床前診断(preimplantation genetic diagnosis, PGD)、着床前スクリーニング(preimplantation genetic screening, PGS)が可能になりました。1993年に私がアメリカでPGDの研究をしていた頃には、男女や限られた遺伝病しか診断できませんでしたが、今では染色体の数や構造の異常にとどまらず、胚(1個人)の遺伝子情報の全てを知ることができるようになりました。

このように、複数の胚があれば必ず何らかの選択が必要になり、「命の選別」という点では変わりありません。形態学的(見た目の)評価、すなわちグレードによる評価が問題視されず PGS が問題視されるのは、PGSでは具体的な染色体異常、特に13番、18番、21番、を持つ胚を排除するからです。不妊治療の目的が、染色体異常を持たない赤ちゃんを産むことであれば PGS は必要でしょうし、そうでなければ PGS は不要でしょう。その他、PGS の目的に流産を繰り返さないためという理由もありますが、その有効性については対象になる方の背景によります。

私自身も今後PGSを行うかどうか気持ちが揺れています。形態的(見ための)評価では「胚」の選択という名のもとにあまり意識されない「命の」選択を PGS では意識させられることになります。さらに、その胚の全ての遺伝情報を手にすれば、将来の健康状態、寿命、癌になる確率など、知りたくないかもしれない個人情報を、本来の遺伝子(遺伝情報)所有者である胚の許可なく第3者である私たちが知ることになり、命だけでなく生まれてくる子供の「人生」まで選択することになりかねません。

子供を持ちたいという基本的な願いを叶えることは、できるだけシンプルな方がいいですね。

追記:ご存じかもしれませんが、PGS の元になった PGD の起源について記しておきます。重度または致死的な遺伝病のために出生後苦しんだ末に亡くなる子供を産みたくない、かつ妊娠後に診断されても宗教上の理由で中絶できない女性に対して、PGD は考案されました。つまり、不妊ではない夫婦に対して、受精卵診断するために体外受精を用いたわけです。したがって、不妊治療の一部として行われる PGS とはコンセプトが異なります。

私が日々の診療で提供したいと願うもの

前回のブログで、待ち時間改善への取り組みを書いておきながら、年末年始採卵を行わなかったために1月は採卵、移植の方が多く、結局外来で長くお待たせする日もあり、大変申し訳ありませんでした。もう少し様子をみて、必要があれば、再度システムを検討したいをと思いますので、ご理解の程お願いいたします。

さて、昨年末に亡くなった母の最後の数か月を振り返って、私は改めて医療について考える機会を持つことができました。母については、高齢者に対して医療の最終目標は必ずしも人の命を1日でも長く伸ばすことではなく、定められた寿命をいかに最後まで人として尊厳を持って生きられるよう手助けできるかでもある、ということです。母は自分なりに最期の時期を知っていて、延命処置なく静かに父のもとへ去って行ったような気がします。

私の仕事である不妊治療については、医療の最終目標は出産です。治療周期が妊娠に至らなければ、私自身、医療行為としての敗北を感じます。皆さんも出産を希望してクリニックへいらっしゃるわけですし、アンケート調査でも必ず「まだ妊娠という結果が出ていないので、クリニックの評価は〇〇点です」という回答をいただきます。しかし、これまでにも書いてきましたが、私は妊娠・出産という結果がすべてではないと考えています。治療が的確なもので、正しく行われれば、治療という経験そのものにも意味があります。

私もスタッフも診療理念にあるように、最高の医療を提供できるよう日々努力、勉強して、一人一人に真剣勝負で臨んでいます。「当院の実績」にも示したように、体外受精によって、40歳未満の女性であれば、半数以上の方が妊娠、出産に至っています。しかし、卵子、精子、子宮の問題のために、どうしても出産が叶わない方たちもいます。出産に至った方も、願いが叶わなかった方も、それぞれの方が自分らしくその後の人生を生きていけるように、治療に寄り添うことが不妊治療という医療のあるべき姿だと思います。

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